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中之条町の文化財

ページID:0001291 更新日:2022年8月23日更新 印刷ページ表示

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はるか縄文の昔から、この地には人々の暮らしが根づいていました。中世には戦国の争乱の舞台となり、近世には市場町として栄えた中之条町。古い歴史の証として日向見薬師堂や冨沢家住宅など、いたるところに先人達の貴重な遺産が息づいています。

日向見薬師堂 (国指定重要文化財)

日向見薬師堂

この薬師堂の創建は、現存している棟札から、天文6年(1537年)以前と考えられています。現在の堂は慶長3年(1598年)に、鹿目喜左衛門藤原家定が沼田城主真田信幸の武運長久を願って建立したものです。
室町時代末期の繰形をよく表している我が国の数少ない唐風建築で、組物は唐様出組、桝の形、木鼻の絵文様、渦巻きの形など当時のものをよく残しています。
明治45年(1912年)特別保護建造物に指定され、昭和25年(1950年)8月29日に、国の重要文化財に指定されました。

冨沢家住宅 (国指定重要文化財)

冨沢家住宅

冨沢家住宅のある大道(だいどう)集落は、江戸時代に開かれた新田村で、当家は代々この村の名主を務めた名家です。越後の米は、この家に荷をおろし、それから吾妻郡の各地に運び出されて行きました。
この住宅の建築年代は江戸時代の後期と推定され、家屋の形式は茅葺き・入母屋造り(間口23.97メートル、奥行12.95メートル)で、屋根の正面が「かぶと造り」の大型養蚕農家の代表的なものです。内部は、1階が「土間」「座敷」「出居(いでい)」「上段」に仕切られ、「上段」は寝殿造りで吊り天井になっており、「土間」には四つの馬屋があります。2階は広く、養蚕に使われていました。
昭和51(1976年)度・52年(1977年)度に半解体修理を行い、昭和61年(1986年)3月、25代目当主冨沢清氏から中之条町に寄付されたものです。

東谷風穴 (国指定史跡)

東谷風穴(栃窪風穴)

東谷風穴(指定名称は荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡)は、東谷山(あずまやさん)北面の中腹にあり、石積みの隙間を通り冷やされた風が吹き出しています。かつては蚕種の冷蔵保存に利用され、掃き立ての時期を調節していました。
構造は、風の吹き出し口の周囲を石垣で囲んだ地上1階・地下2階の建物で、地下2階に氷庫があり、地下1階に蚕種を置き、地上1階は作業場(整理室)となっていました。
現状は石垣のみが残って、使用された時代を想定できる遺構です。養蚕の盛んであった吾妻地方の関連遺跡として貴重な文化財です。

白久保のお茶講 (国指定重要無形民俗文化財)

白久保のお茶講

14世紀の中頃から武士の間で盛んに香のにおいを嗅ぎ当てたり、茶の味を当てたりすることが行われていました。
お茶の飲み当てを「闘茶」と呼び、その記録が残されています。お茶講の記録も江戸時代(寛政11年)のものが残されており、闘茶の記録の方法と同じもので、現在もその方法で受け継がれています。
お茶講は白久保天満宮の宵祭りの日(24日)の行事として行われるようになりましたが、中世の「闘茶」のやり方を現在に伝える、全国でも数少ない貴重な民俗行事です。
現在は2月24日にお茶講の家で行われ、この貴重な民俗行事を予約により体験することもできます。

六合赤岩伝統的建造物群保存地区

赤岩重伝建地区

白砂川の河岸段丘に広がる赤岩地区は、山村の養蚕集落として、平成18年(2006年)に国から群馬県初の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
赤岩では明治時代以前から養蚕が営まれ、養蚕に適した頑丈な農業建築が行れてきました。サンカイヤと呼ばれる湯本家、関家の三階屋の建物が残っています。
さらに、上の観音堂・毘沙門堂・向城の観音堂・東堂・赤岩神社などの小さな宗教施設が点在し、蔵・小屋や道祖神、石垣や樹木、通り沿いの景色、農地や森林が一体となって、幕末や明治時代の景観を今に伝えています。

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