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嵩山(たけやま)の歴史〜霊山と山城で知られる嵩山〜
古代から祖先の霊魂を祀る山を「たけやま」と呼び、嵩山は死者の霊が山の上に集まる神聖な「霊山」として、吾妻盆地の各地から信仰を集めていました。また、この山には神様がいて、春には里におりて田畑の神となり、実りを与えてくれるとされていました。
縄文式文化時代の遺跡も多く、「嵩山の神和利大明神として子持山の神を妻とし、鳥頭明神を子供として吾妻地方の中心的な神となっていた」と、神々の縁起を集めた『神道集』には記されています。
また、嵩山は「天狗の住む山」とも言われ、現在でも東の峰を「大天狗」、中の峰を「中天狗」、西の峰を「小天狗」と呼んでいます。
嵩山城は、室町時代の中期(長尾景仲が白井城に拠って北関東一帯を押さえていた頃)、この白井をとりまく友城のひとつとして開かれました。その後、岩櫃(いわびつ)城主・斉藤氏が近隣を手中にするに及んでこれと手を結び、岩櫃城をとりまく出城として重要視されました。
戦国時代の永禄6年(1563年)には、岩櫃城が武田信玄方の上田城主・真田幸隆(幸村の祖父)に攻められ落城。岩櫃城主吾妻太郎斉藤越前守の子・城虎丸(じょうこまる・18歳)を擁した吾妻衆が、上杉謙信の支援を受けて嵩山城に立てこもりました。しかし永禄8年(1565年)11月、激戦の末に一族は大天狗の岩から飛び込んで自決し、嵩山城は落城しました。こうした戦死者を弔って、元禄15年(1702年)から坂東・西国・秩父の百番観音が建立されました。
このように、嵩山は古くから、山全体が聖山であり、人々の信仰の対象となっています。
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